○現在の研究内容について
[研究について]
博士課程前期までは、中国湖南省の太平天国以後の地方政治を研究していました。とくに太平天国以後の地方改革の先駆けとなった地域の一つである湖南省に注目して研究をしてきました。修士論文では、地方長官である督撫が、従来の政治機構には存在しなかった、様々な局所を設立し、そこに在地の紳士層を取り込み、行政制度を再編していったかを、清末の湖南省を舞台に、財政、軍事・治安、教育の面から取り扱いました。
北京留学後は、財政研究に重点をうつし、清末(特に太平天国から光緒期)の中央と地方、在地紳士層の活動などについて扱う方向で、史料収集を進行。
帰国後は、留学時期に集めた史料を整理し、発表するために日々努力しています。
[本務について]
2010年4月から長崎外国語大学に赴任してきました。中国語と東アジア史関連の科目を担当しています。
以前翻訳などの業務で関わっていた文部科学省特定領域研究「東アジアの海域交流と日本伝統文化の形成 ―寧波を焦点とする学際的創生―」(略称「にんぷろ」)の現地調査研究部門(広島大学大学院文学研究科に事務局があります)については、このページをご覧下さい。
○修士論文
「清末湖南省における地方行政の再編成」(1998年1月12日提出)
○博士論文
「清末における省財政の形成と財政制度改革」(2005年11月14日提出)
○雑誌論文
・「清末湖南省の省財政形成と紳士層」(『史学研究』第227号 2000年1月31日)
清朝の後期・末期になると、地丁正額税への付着部分や釐金等の新税の増加によって、中央の側では税収を把握できなくなってくる。この中央では把握できない財政部分が、次第に地方財政を形成していく。地方で従来の地丁正額税などを掌握してきたのは各省の布政使であったが、新税導入時期から地方長官である総督・巡撫は布政使系の徴税ルートとは別に、総督・巡撫−委員・委紳というルートを使って新たに増加した財政収支部分を掌握しはじめる。本論では、湖南省の地方財政増大と総督・巡撫の財政権掌握を対象とし、地方財政がとくに増大した太平天国時期の1850年代と20世紀はじめの光緒新政時期の二つの時期について考察した。
・「清末の官欠・民欠からみた銭糧政策」(『広島東洋史学報』第7号 2002年11月8日)
清朝末期においては、旧来の主要財源である地丁銀の徴収能力は低下し、新たな釐金などの流通を主要対象とした新税が比重を高める。しかし、比重が低下したとはいえ、地丁銀が清朝の主要財源の一つであることには変わりがなかった。同治後半から光緒年間にかけて、地丁収入に関しては、一定の安定期がある。これは、ある程度の財政構造変化を迎えた上で、その変化が制度化され、健全化していく時期の前段階だったのかもしれないし、さらなる変動の前の小康状態だったのかもしれない。そこで本論は、未徴収地丁(官欠・民欠)の処理という側面から、咸豊・同治、そして特に光緒年間以後の地丁徴収制度の動揺と、安定化の方向性について考察し、清朝財政史の中における光緒期財政の位置づけを行った。
・「清代財政監査制度の研究 -交代制度を中心として-」(『史学研究』第247号 2005年3月31日)
清朝は、地方の財政監査において、交代制度という手法を用いていた。これは各レベルの地方政府の長官である布政使、知府、知州、知県などが任務交代をするときに、前任者と後任者の間で帳簿を付き合わせる方法で、第三者的な財政監査当局が監査に入る方法とは異なる。交代制度のもとでは、財政収支担当者と、財政監査担当者の分離がなされないため、厳格な監査を行いにくく、様々な弊害が生じた。そこで本論は、清朝がなぜその様な制度を採用していたのか、その理由と交代制度の弊害を解明し、そして清末の交代制度の変化と、各省の督撫が行った省財政の集権化の関係を考察した。
・「从田賦地丁看晩清奏銷制度」(『北大史学』(北京大学歴史系)第11輯 2005年8月)
清朝は、奏銷(報銷)制度によって全国の財政収支を把握し、中央による財政支配を行ってきた。従来、太平天国時期に奏銷制度が崩壊し、清朝の財政は破綻をきたし、王朝は滅亡に至ったとする研究が大勢を占めてきた。ところが、『河南銭糧冊』ほか各種財政档案史料から、太平天国時期に一旦停止した奏銷制度も、後に復活し、奏銷冊は清朝崩壊の年に至るまで継続的に中央に送られていたことが明らかになってきた。本論文は、档案史料に見られる奏銷冊の提出状況を分析することで、清末奏銷制度の運用状況を明らかにし、当時の中央の財政掌握力の実情について考察した。
・「清末度支部金銀庫の収支に対する一考察」(『現代中国研究』20号 2007年3月23日)
清末の中央の財政掌握力を考察するために、中央の銀庫が現実にどの程度の銀両を保有していたかを考察した。光緒末年までの貯銀量は500万両前後を維持していたが、1909年以後急速減少し、清朝崩壊の年には事実上の涸渇状態にまで至ったことが明らかになった。また中央の銀庫は、中央の各省庁が独自に資金調達して支出に充てていた独自会計を接収したが、かえって各省庁が担う業務の赤字を抱える結果となったことも解明した。
・「清末における審計院創設計画」(『中国四国歴史学地理学協会年報』3号 2007年3月25日)
清末において、国会の予算審議制度導入と不可分と考えられた予算執行後の財政監査機関である審計院の創設計画について考察した。計画においては、財務行政を行う度支部からは独立した形での審計院創設が目指されていたものの、中央政界の事情や、人員確保の面からも度支部から全く独立した形で創設することが非常に困難であり、少なくとも1911年までには十分な準備が整っていなかったことが明らかにされた。
・「中華民国期における清代行政文書の管理と利用状況について」(『史学研究』第280号 2013年7月31日)
清代の中国研究において、一次史料を用いて研究を行うことは、近年では比較的容易になり、その使用は欠かせないものとなってきている。清代史の一次史料の中で、北京故宮の第一歴史档案館の文書は、非常に重要な位置を占めている。本論では、第一歴史档案館の史料が、民国時期にどのような意図をもって保管・整理されたのかについて考察し、さらに史料を保有することそのものにどのような意味があるかについても明らかにした。
・「清末の雲南報銷案における地方から中央への非正規徴収の流れについて」(『広島東洋史学報』第18号 2013年12月25日)
清末雲南省から中央への財政収支報告作業で、大きな贈収賄事件が発生し、多くの官僚が処罰の対象となった。事件は官僚の政治意識の腐敗という問題で片づけられるものではなく、増大した新財政部分を処理する行政経費を、ルール未設定の状態で官僚たちが非正規徴収として搾取したために発生した案件であることを明らかにした。また非正規徴収を行う際、中央の書吏の権限は、清末においてもなお強いものがあることも指摘した。
・「清末預備立憲時期における財政制度改革 ―清理財政局を中心として―」(『社会経済史学』第80巻2号 2014年8月25日)
清朝は、その最末期において、非正規財政として中央に報告されない財政部分を報告させる「清理財政」改革を行い、同時に財政の国税・地方税分割を行おうとした。この改革については、詳細な分析が行われぬまま、失敗という評価づけがなされていたが、本論は非正規財政の報告という点では、成功したということを明らかにした。また地方政府が、常に中央に対して非正規財政収入を隠匿し続けるという考え方が誤りであることも示した。
○書評
・大谷敏夫『清代政治思想と阿片戦争』同朋舎出版、1995年。(『東洋史研究室報告』17号 1995年10月15日)
・山本進『清代財政史研究』汲古書院、2002年。(『史学研究』239号 2003年3月31日)
○学会・研究会報告
・「太平天国以後の湖南省における新財政機関の創設 −軍需局、東征局、西征局、善後局を中心に−」
(広島史学研究会1998年11月29日東洋史部会)
太平天国以後、中国は従来の田賦中心の税収が激減し、釐金などの新税の導入に踏み切った。従来の田賦などは、州県によって集められ、省の布政使がそれを管理し、戸部が定めたとおりの用途に振り分けられていたが、釐金などの新税は、在地紳士層の手で集められるという、従来とは全く別の徴税系統を形作った。また、釐金などの新税は、支出の面においても、督撫が省集権的に使える地方財源となり、彼らが直接掌握できる新たな財政支出機関も創設された。本報告では、太平天国以後の、湖南省の新しい財政支出機関の創設を事例として取り上げた。この時期に湖南省に設けられた、主な財政支出機関である軍需局、東征局、西征局、善後局について考察することによって、清末における省レベルでの財政構造の自立化といった変化の一例を示した。
・「清末の奏銷制度の運用」
(中国四国歴史学地理学協会研究会2003年12月7日東洋史部会)
清朝は、奏銷(報銷)制度によって全国の財政収支を把握し、中央による財政支配を行ってきた。また清朝崩壊後の民国でも、報銷によって収支を把握し、各省間の協餉を行い財政をコントロールする手法は継続したとされている。しかし一方、太平天国時期に奏銷制度が崩壊することによって清朝の財政は破綻をきたし、崩壊に至ったとする研究が大勢を占めてきた。ところが、近年『河南銭糧冊』といった、光緒時期の大量の奏銷冊の存在が紹介されることにより、奏銷制度は少なくとも光緒時期から清朝崩壊の年に至るまで、連綿と継続していたことが明らかになった。これは、従来の清朝財政破綻説に対して大きな疑問を投げかける発見であったが、その後、清末奏銷制度に対する研究との間で、整合的な説明への進展があったとは言い難い。本報告は、档案史料に見られる奏銷冊の提出状態を分析する事で、清末奏銷制度の運用状況を明らかにし、清末の財政研究に寄与することを試みた。
・「清末諮議局の予算審議と官紳対立についての一考察」
(中国四国歴史学地理学協会研究会2006年6月4日東洋史部会)
清末に設立された事実上の地方議会である諮議局で行われた予算審議の場面で見られた、地方大官である督撫と在地紳士層との間の対立について考察し、官紳共栄的な結びつきが地方の遠心力を増加させ、清朝を崩壊に導いたのではないという見解を提示した。
・「清末諮議局の予算審議と官紳対立についての一考察 ―第二回常会時期を中心として―」
(中国現代史研究会例会2006年10月7日)
清末に設立された事実上の地方議会である諮議局開設2年目の第2回常会で行われた予算審議の様子について考察し、地方大官である督撫と在地紳士層との間に見られる深刻な官紳対立について考察した。
・「清末預備立憲時期における財政整理改革の研究」
(社会経済史学会第77回全国大会 自由論題報告 2008年9月27日 於 広島大学)
・「清末預備立憲時期における国税・地方税分割の財政改革」
(広島史学研究会 東洋史部会報告 2009年10月25日 於 広島大学)
・「清末預備立憲時期における地方財政機関の改編」
(九州史学会 東洋史部会報告 2009年12月13日 於 九州大学)
・「光緒新政以後の満洲人官僚のポストについての一考察」
(満族史研究会 研究報告 2012年5月26日 於 長崎外国語大学)
・「中華民国期以降における清代行政文書の管理 ―中国第一歴史档案館を中心として―」
(広島史学研究会 シンポジウム報告 2013年10月27日 於 広島大学)
○翻訳
・鄭成林「漢口市商会と抗戦期以前の武漢社会経済の発展(原題 漢口市商會與抗戰前武漢社會經濟的發展)」(『近きに在りて』49号 2006年5月 30日)
・蘇基朗(Billy K. L. So) 「明末および清代中期における長江下流デルタの綿布輸出―海外貿易と地域経済の比較研究―(原題 Exporting Cotton Textiles from the Lower Yangzi Delta in Late-Ming and Mid-Qing China:A Comparative Study of Overseas Trade and the Local Economy)」(『東洋史研究室報告』11号 2006年12月10日)
・リンダ・ウォルトン(Linda Walton)「宗教、社会および日中の文化的関連 ―南宋明州(寧波)における仏教と地域社会― (原題 Religion, Society, and Sino-Japanese Cultural Relations:Buddhism and Local Society in Southern Song Mingzhou [Ningbo]) 」(『東アジア海域交流史 現地調査研究〜地域・環境・心性〜』1号 2006年12月25日)
・陸敏珍「宋代明州水利事業の経営と管理 (原題 宋代明州水利事業的経営與管理) 」(『東アジア海域交流史 現地調査研究〜地域・環境・心性〜』1号 2006年12月25日)
・戴光宗「物を潤して細やかにして声無し ―著名人の活動からみた寧波の重要性― (原題 潤物細無声:从文化名人看寧波的重要性) 」(『東アジア海域交流史 現地調査研究〜地域・環境・心性〜』1号 2006年12月25日)
・馮筱才「近代寧波区域歴史研究の史料問題 ―地方文献を中心として― (原題 近代寧波区域歴史研究的史料問題:以地方文献為中心) 」(『東アジア海域交流史 現地調査研究〜地域・環境・心性〜』1号 2006年12月25日)
・柳和勇「舟山群島の寺観祠廟から見たその宗教信仰の発展変遷(原題 从舟山群島寺観祠廟看其宗教信仰的発展変遷)」(『東アジア海域交流史 現地調査研究〜地域・環境・心性〜』2号 2006年12月25日)
・林国平「福建海神信仰と祭祀儀式(原題 福建海神信仰与祭祀儀式)」(『東アジア海域交流史 現地調査研究〜地域・環境・心性〜』2号 2006年12月25日)
・于運全「20世紀以後の中国海洋災害史研究について(原題 20世紀以来中国海洋災害史研究評述)」(『東アジア海域交流史 現地調査研究〜地域・環境・心性〜』2号 2006年12月25日)
○その他
・「デジタル史料保存 ―序説とデジカメによる史料複写について―」(『広島東洋史学報』第4号 1999年)
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