吉田裕『昭和天皇の終戦史 (岩波新書)』1992年
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小泉靖国参拝以降、「勝者の裁き」、「押しつけ」といった形で東京裁判が非難されたり、A級戦犯の免罪論調というのが高まった。確かに東京裁判は、「裁判」としては問題があるのだが(ただ、示談としては十分有効なものだ)。
だからといって東京裁判の見解を裏返して、A級戦犯を称揚するような動きは、実に無邪気で稚拙だ。なぜならA級戦犯というのは、天皇や戦後に活躍する保守政治家が免罪とされるために、日本の側から積極的に差し出されたスケープゴート(生け贄)だった。A級戦犯というスケープゴートを用いて、ギリギリのところで免責を勝ち得た宮中(天皇)および戦後保守政治家の駆け引きが生々しく、非常におもしろい。「押しつけ」論からは見えてこない視点を、本書は提供してくれる。東京裁判やA級戦犯を論じる際に、本書を読んでいなければ、まずお話にならない。
東京裁判を否定したりA級戦犯を称揚したりするのは、再び昭和天皇の戦争責任論を蒸し返されかねない行為なのだが、「押しつけ」論でしかものを見られない者は、自らの言動が自らの足下を掘り崩していることに気づいていない(昭和天皇は気づいていたと思われる)。本書を読めば、A級戦犯合祀後に靖国参拝をしなくなった昭和天皇の意図も、なるほどと分かるだろう。
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